2022 AW COLLECTION vol.4 「METALLIC COMPLETE-Ⅱ」
UAG STORY
History and Vision UAG F.Bの歴史と想い
サーフィンチームから、生まれた。
UAG F.Bは、とあるサーフィンチームから生まれた。チームと言っても大会に出場して優勝を目指す、といった類の集団ではなくて、「好きなヤツと一緒にサーフィンを楽しむ」を目的とした仲間だ。メンバーは、UAG F.B代表の神田と、その弟、行きつけのサーフショップで出会った友人たち、そして、高校時代からの親友のアツシ。
週末になると波に乗り、笑い合った。
週末になるとみんなで海に行き、波に乗って遊んでいた。ただひとり、アツシはサーフィンをやらなかった。それでも一緒に海に来て、みんながサーフィンする様子を砂浜から撮影していた。スマホなんてない時代だから、大きなビデオカメラで。お笑い芸人みたいに明るいアツシ。ニヤニヤしながらみんなの姿を撮っていた。
リーマンショックで、笑顔が消えた。
2008年、アメリカの投資銀行のリーマンブラザーズが破綻した「リーマンショック」を契機に、世界規模で不況になった。日本も例外ではなく、景気が悪くなり、多くの若者が職を失った。アツシもそのひとりだった。そして、彼の最高の笑顔は、この世界から消えてしまった。
とにかく明るくて、おもしろくて、元気なヤツ。そんな人間でも、生きることを諦めてしまうことがあると知った。仲間は失意のどん底に落ちた。心が、海の深く深くに沈んでいく感覚だった。どれくらいの日時を要しただろうか。「はいあがろう」と、仲間が言った。「このアンダーグラウンドから、アツシと一緒に」
Under Atsushi Ground
そして、サーフィンチームの名称が「UAG」になった。人生には、困難がある。でも、それを乗り越えなくちゃいけない。頑張っていたら必ずいいことがあると信じて。そして、人生を諦めないために、何かひとつ楽しめるものをつくりたい。神田はそう思うようになった。
そんな時に出会ったのが、指スケだった。その虜になるまでは、一瞬。そのおもしろさと奥深さに惹かれ、自分でも作りたいと思うようになった。もともとモノづくりが好きだった神田にとって、指スケはかっこうの題材だった。指スケをつくり、自分のように何かひとつ楽しめるものを探している人に知ってほしい。ブランド名は決まっていた。後ろに「F.B(フィンガーボード)」を付けた。
スケボーも、サーフィンから生まれた。
もともとスケボーは、サーファーが荒天などで波に乗れない日の練習のために生まれた。サーフィンとのつながりも強い。「UAG F.B」には、サーフィンチームの想いが強く込められている。そのひとつが、ロゴマークのデザイン。笑っている口のようにも見える部分は、波をモチーフにしている。波のイラストを施したデッキも、もちろんある。そして、先日開発したオリジナルトラックの名称は「A-FRAME TRUCKS」。「Aフレーム」とは、Aを逆さにした形の、サーフィンに理想的な波のことを指す言葉だ。
指スケをつくり、笑顔をつくる。
いつか、みんなで指スケを楽しむ場をつくりたい。それは、お酒が飲める場所かもしれないし、子どもたちが集まる場所かもしれないし、オフィスで同僚と休憩する場所かもしれない。そこで、友だちとトリックを競う。子どもと一緒に走らせて遊ぶ。イヤなことがあっても何か楽しいことがあれば、また前を向けるから。
人生を楽しむ指へ。何かひとつ楽しめるものがあれば、人生は変わる。キミのそのひとつが、指スケなら最高。「なぁアツシ、見ててくれよな」